#19 k_zero+A「まざる」PVを制作しました

まざる 【初音ミク・GUMI オリジナル】

Music & Lyrics : k_zero+A http://d.hatena.ne.jp/k_zero/
Drums : satie
Illustration : おどり http://www.pixiv.net/member.php?id=812414
Movie & Design : eau. http://lamer-e.tv

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 最近こちらでの報告が遅くなって申し訳ありません。。。 k_zero+Aさんの楽曲「まざる」のPVを制作いたしました!
 「VOCALOID M@STER 23」で500円で頒布された「CMY」盤と、webでフリーダウンロード可能な「RGB」盤によるアルバム「is coloratura」の導入となる曲になります。
 webでダウンロードできる「RGB」の特設サイトはこちらから!素敵な楽曲はもちろん、凝りに凝ったサイト構成も必見です。


 is coloratura (RGB) | k_zero+A
 http://mazaru.net/ 


 k_zero+Aさんの楽曲が本当に本当に大好きで、今回のお誘いをいただいた時は嬉しくて飛び上がりそうになりました。
 FRENZ 2011で『頭の中のSzkieletor』を聴いた時から「VOCALOIDでこんな楽曲を書く人がいるのか!」と衝撃を受け、『アンシクロペディストの見た夢』ですっかり惚れ込み、あれよあれよと虜になり……音楽においても歌詞においても、「世界観の構築」という面で本当に妥協を許さない楽曲を作る方だなぁ、と、ずっと尊敬しております。

 また、自分は今まで「現実と仮想の相剋」というテーマを一つの軸として映像を作っていましたが、今回のアルバムのコンセプトがまさにテーマそのもので、k_zero+Aさんの方で「コンセプトを煮詰めている間に、このテーマならeau.さんにお願いしたいと思った」と言われたことも、とても嬉しかったです。
 愛をとにかく込めて込めて、k_zero+Aさんの世界観を壊さずに、映像側で新たな視点を提示できるPVを目指しました。映像としても妥協無しで、今の自分に出来ることを吟味して吟味して詰め込みました。

 
 イラストは、フラットな色彩と画面の構成がとても美しいおどりさんのイラストを贅沢に使わせていただきました。イラストのフラットな色彩感を大切にするために、テクスチャを使わずに、空間の広げ方と純粋なモーションで魅せられる作品を目指しています。素材のひとつひとつが本当に丁寧で可愛らしい!送っていただいたデータを見ながら「どう使おうかなぁ」といつもワクワクしていました。

 是非、これを機にk_zero+Aさんの他の楽曲も聴いていただければ、制作に携われた一ファンとしてこれ以上にない幸せです。複雑だけれども耳に優しく流れてくる、素敵な世界観を楽しんでいただければと思います……!


 PVのコンセプトや詳しい解説などは以下より(準備中)。
 例によって活字好きな人向け。今回は数式ひとつひとつにも思いを込めました。
 

コンセプト

「感覚の定量化」と「デジタルに切り捨てられたアナログ」

 k_zero+Aさんから、アルバム「is coloratura」と楽曲『まざる』のお話をいただいた際に、
 ・「画面のこちら側の世界」と「画面の向こう側の世界」の役割を「CMY」と「RGB」が担い、『まざる』という楽曲が二つを結びつける
 ・僕らの過ごす日常はくだらない物で構成されていて、けれどそれを失った時にその大切さが分かる
 という楽曲側のコンセプトをいただきました。

 楽曲のコンセプトをどのように映像側で再解釈していこうか、と考えていた時期、「iPhoneのようなポータブルプレイヤーで音楽を聴くのが主流となり、音声圧縮されたデータの音楽にあまりに慣れ過ぎてしまったため、何十万もする高音質のスピーカーで音楽を聴いても、大半の人は差異を聴き取れなくなっている」という話を聞きました。
 MP3のような、音声圧縮されたデータに我々の耳が適応しているということは、ある意味で我々の耳は「デジタル化」されている、ということになるかもしれません。

圧縮され、微細な情報を切り捨てられた音楽に慣れ過ぎたことで、実際に高音質な音楽、生の音楽を聴いたとしても、我々の「デジタル化」された耳は無意識に微細な情報を切り捨てているのかもしれません。情報化の流れの中で、音楽という聴覚情報が定量的に扱われ、汎用性が高められる一方で、知らず知らずに我々の感覚も定量化されているように思えます。
また、視覚情報に関しても、現実に見た光景は画像圧縮により微細な情報を切り捨てられ、「ピクセル」という名の、モザイクの延長とも取れる曖昧化の原理によりモニターに表示されます。モニターに表示された画像を見る事に慣れきった我々は、「ピクセル」が切り捨てたような微細な「生」の情報を感知する能力を失ってきているのかもしれません。
このような「感覚の定量化」と、「デジタルに切り捨てられたアナログ」といったコンセプトを、「画面のこちら側と向こう側の世界」や「くだらない物を失った時に、その大切さがわかる」という楽曲側のコンセプトと重ね合わせることで、『まざる』PVの中心となるコンセプトが生まれていきました。

VOCALOIDと「感覚の定量化」

 VOCALOIDのPVのお誘いを受ける時には、いつも「VOCALOID」を単なるキャラクターではなく、「音声合成技術によって生まれた電子の歌姫である」という概念そのものの部分まで掘り下げられるPVを作れないか、と試行錯誤しますが、今回のコンセプトではVOCALOIDはとても結び付けやすい存在でした。
 「VOCALOID」というのは、情報化の中で推し進められる一種の「定量化礼讃」のような流れの、現在最も一般に浸透しているかたちに思えます。
実際の人間の声を録音し、汎用性を高めるために捨象し、データベース化し、誰でも使えるようにする、そしてその「定量化」の中で生まれた歌姫が誰にでも利用可能なキャラクターとなり、ネット上で文化を形作る、その一方で、汎用性を高めたために、そこには肉声に比べて「切り捨てられた感覚」が存在する、しかし、VOCALOIDの歌に慣れてしまうとその部分も気にならなくなってくる……前述の、音声圧縮とデータ化によりポータブルプレイヤーが実現し、音楽をどこでも聴ける環境が出来上がる一方で、微細な感覚が捨象させる流れと似たものを感じます。
 「感覚の定量化」の結晶のような存在がここまで広がりのある文化を生み出しているのも面白く思います。『まざる』PVの中で、VOCALOIDの歌に映像のコンセプトが寄り添うことにより、「感覚の定量化」の結晶としてのVOCALOID、という関係を暴くことをひとつの目標にしています。

シーンについて

映像内の数式について