#03 MGのセマンティクス

前エントリの、「時間の流れの中で物語として働く、『すべてのシンボルが言語化/注釈可能』なモーション・グラフィクス、といったイメージです。(それが果たしてモーション・グラフィクスと言えるのか否か、というのは置いておいて)」という点に関して、twitter上でyama_koさんとのやりとりが面白かったので、備忘録がてら(勝手に)載せてみる。


silencieuse : MGの技術論に関しては今の所時代の潮流に追いつけない感をひしひしと感じているので、MGの意味論に関してもっと掘り下げてみたいなーとは思う。ここで技術論と意味論をシンタクス・セマンティクス、という言葉で置き換えていいものかどうか迷ったけれど取り敢えず技術論と意味論で。

silencieuse : まあMGが各映像に共通して用いられる運動やら空間表現を抽出して凝縮させたジャンルである、という点に於いて、MGは多分に技術論に傾くべきものだと思うのだけれど。しかし純粋に技術特化の方向性で行かなくとも良い運動や空間表現を生み出せる事はemさんが証明してると思う。(やっぱりそこに行き着く)

yama_ko : @silencieuse MGって言語化出来ないところを求めるものという側面が大きいからそのへんは難しいですよねー。

silencieuse : @yama_ko 感覚的に味わうだけでなく、個々のシンボルに注釈を加える事が出来て、作品自体が時間の流れの中で物語として働くような、「言語化可能」なMGは、それこそコンセプチュアル・アート寄りになりますよね…。今はそこを自覚してますが、昔は二者の明確な線引きが出来ていなかった…

silencieuse : 感覚的に楽しむモーショングラフィクスと、言語化可能で物語として成立するコンセプトムービーとをギリギリのバランスで両立させる事がMGの意味論であるとするなら、kouksさんの「fragment fiction」は本当にその理想的なバランスを保ってて凄い。何度見ても震える。

yama_ko : @silencieuse その注釈や物語をつたえることができるってのは、ある意味具体的な認識を使うわけですからねー。MGの「気持よさ」とかとは真逆の方向な気がします。混在はできるとしても。

silencieuse : @yama_ko 深層的な意識のベクトルとしては、「気持ちいい」というより「考えさせられる」といった方向ですよね。その二つのベクトルを基底とした座標空間の中でいろいろな作品を勝手に位置付けてみるのも面白いかもしれない…

yama_ko : @silencieuse いいですね。作者単位で全部比べて、作品数と時期と平均と分散を眺めてみたくなります。


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やはりMGのシンタクス・セマンティクスというとこの作品を思い出さずにはいられない性分。
http://www.nearlynothing.net/images/syntax_semantics.htm

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以下雑感。

各作品がモーション・グラフィクスの方面とコンセプチュアル・アートの方面にそれぞれどれだけ傾いているのか、というのを(主観的ではあるけれども)分析してみるのは面白いかもしれない。
少し前にTLで、「初心者は無目的にやたらめったら習得した新しい表現を使いたがる」と言った話が出ていたけれども、新しい表現技術を無目的に使うことは、モーション・グラフィクスの方面に特化していると言う自覚があった上で行っているのならば全く問題は無いのではないかしら。問題は双方のバランスであって。

まだそのような分析は行っていないし、行ったところで間違いなく主観が混じるので断定は出来ないけれども。
「モーション・グラフィクス的要素」と、「コンセプチュアル・アート的要素」を配合する際の上手いバランスを図式的に軌跡として表現するのならば、「モーション・グラフィクス的要素」をx軸に、「コンセプチュアル・アート的要素」をy軸と定めた際に、y=k/xで表現されるような直角双曲線になるのではないか。
モーション・グラフィクスとしての要素に特化させようと試みるならば、「思考の余地無く」感覚的に気持ちいい映像を作らなければならないため、必然的に、物語的な、あるいは概念的な要素は希薄になるべきであり、逆に「映像を通して何かを伝えたい」という意識の中で映像を作るのならば、必然的に感覚的な要素は薄くなっていく。
前者に特化すると映像は純粋なモーション・グラフィクスとなり、後者に特化すると「アート」に近くなっていく。(果たして"純粋"なモーション・グラフィクスとは何か?というところは、またそれは掘り下げる余地がありそう)

その「映像として心地よいバランス」を意味する「y=k/x」という双曲線と、「感覚的な気持ち良さと、映像の物語性が上手く配合されている、という意味でのバランス」という意味での直線「y=x」との交点に近い位置にある一例として僕は「fragment fiction」を挙げているのかな、という後々の自己分析。

ただ、「y=k/x」に於ける実数のパラメータ:kが大きければ大きいほど、全体としてのクオリティが高い、良い作品である、というのは紛れも無い事実であるのだから、どちらに傾倒するにしても、kの大きな作品を作れるような制作者でありたいなーとは思う。がんばろう。